ついに本腰
かつて平安末期に当地随一の柵があって、それが平泉藤原氏の家臣河田次郎が住んだ贄の柵として吾妻鏡に記載されている。この度の発掘で何か遺物が発見され柵跡を決定づけることができることが期待されている。
二井田周辺は古代、中世を通して比内郡の重要な拠点であったにもかかわらず、今まで予算や執行場所の関係でまったく手つかずの状態で放置されていたことが不思議である。
発掘作業は今年中にはある程度完了するので新しい発見の朗報が伝わるのもそう時間はかからないであろう。
今から心躍る結果が待ち遠しい。