NO 城館名 現況 説明
40 前山
まえやま
前山川の左岸萩の岱に自然地形の丘を館にした多郭式の館は羽州街道の近くを守る。館主は浅利の臣、前山善助で前山の地名から郷士だったものか支配後の呼称かわからない。ただ陸路の防御では重要。前山館
41 小勝田
おがつだ
小猿部川と米代川との合流地点の要衝を固める小勝田館は浅利の臣、小勝田傳兵衛の居館で当地の地侍だったのだろうか。中世埋没家屋が出土したことが知られ脇神支郷である今は小ケ田と呼ばれている。
42 蟹沢
がにざわ
蟹沢(岩沢)庄兵衛との関連の確証はないが薬師山同士を連絡する要衝地点で河畔での城館は見あたらない。蟹沢氏は山田館へ移動するが蟹沢居住の地侍だ。蟹沢館
43 麻生
あそう
麻生館は浅利の臣浅(麻)生左馬之助の居館で小繋にほど近い。北流する阿仁川の米代川への合流地点で関所の感がある。阿仁地域の勢力を監視する重要な地点である。向岸には七座天神が鎮座している。 
44 小繋
こつなぎ
荷上場から次ぎの集落で裏山が薬師山で比内郡の狼煙(のろし)の傳着掛が居住したのが小繋館だろうが陸路よりも米代川の通運管理も兼ねていたのではないか。川舟が蛇行する難所だった。小繋三助が守る。
45 荷上場
にあげば
荷上場館ノ下西側高地で館主は額田甲斐の居館で浅利氏との関係は定かではない。対安東氏への最前線で館平城という。応仁2年の年紀で扇田住浅利則章の棺が梅林寺で江戸期出土したが丁重さから浅利支配下といえる。
参考文献 郷村史略、秋田県の中世城館、出羽諸城の研究、秋田の城、秋田県史、等他数種
凡例 の違いは正確ではありませんが浅利氏の当時の表現から判断した。読点省略
注意 写真は必ずしも城館址を写していない箇所も有ります。関連地域としてご覧下さい。
分類は必ずしも行政区分ではありません体制上の防備地域で考慮しました。