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■Q:比内地名と浅利氏との関係は?
A:比内地方には浅利氏との関わり合いがある地名や固有名詞を考えてみましょう。
まず浅利氏が比内地方を治めるにあたって、一番最初に関与したのは鳳凰山という
大館盆地の秀峰の命名があります。
甲斐浅利郷から望む甲斐三山に似ていているとの口伝があるのは望郷の念でしょうか。
浅利氏以前の比内郡は平泉藤原氏の有力な河田氏に帰属していたためほとんどの地域に
地名は当てられていたに違いありません。従って浅利氏入部以前は当然陸奥国の影響を受ける
ことになります。後に比内郡の中心地となる扇田は浅利氏や檜山安東氏の家紋にゆかり
があって命名された可能性が高い。浅利氏が地頭として配置された鎌倉初期は
幕府の意向によって、奥州は旧態に沿って統治せよという方針があて、新たに地名を
浅利氏にちなんだものに変更する状態ではなかったと思われます。
比内と甲斐の風土、気候の違いは浅利氏が移住する上で大きな戸惑いを伴ったと思われます。
また冬の雪と厳寒に順応するまでは地元の習慣に迎合するしか手段は無かったのです。
よく浅利氏の文化が比内に影響していないと言われる方がありますが、中央の文化が必ず
しも、地方のそれより高いばかりではなく、食文化や生活理念は移入者が従うべきが多いのは
自明の理でありましょう。