当時、豊臣秀吉は補佐として五大老五奉行を設置、文禄5年1月23日秀頼に対して長束正家・増田長盛・前田玄以・石田三成の4名に5ケ条の起請文で忠誠を誓わせ、恩義を持って情報収集する事、隠密裡に談合し諸問題を収拾すべしとした。五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)五奉行(石田三成、浅野長政、長束正家、増田長盛、前田玄以)は浅利、安東の物成(納税)騒動で2分し、評定に奔走した。安東氏は浅利方の肝煎浅野、前田、徳川支持に危機感を抱いた。