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■Q:壇ノ浦での与一伝説のこと
A:与一伝説は皆さんご承知なのは平家の船の扇を射った那須与一の扇の的
が有名です。源氏与一といえば石橋山の戦いで壮絶な死をとげた左奈田与一
も弓の武人として左奈田神社に祀られています。
ところが、甲斐源氏浅利与一義成の壇ノ浦での遠矢はほとんど知られていま
せん。那須与一は屋島の戦いでの事でした。正確無比の弓業は天下一だった
ことでしょう。平家物語に遠矢の段がありますが、学校の教材で採用されて
いないことがその理由でもあります。ものの本ではこの壇ノ浦の遠矢を那須
与一として堂々と刊行しているものが見受けられます。
小説としても歴史の改竄は許せない残念なことであります。
浅利与一は強弓の豪者でその強さは驚異だったでしょう。
また壇ノ浦の最狭部は海幅700mで海峡の中央を船が通過しても陸から
両岸から十分に矢が届く距離にあります。浜辺は源氏の白旗で埋まったことでしょう
源氏の騎士団は轡を並べて船合戦を窺っていたものだろうが、多くの水軍が
源氏方についたため勝敗はほとんど決していただろう。