
牛蘭鷹絵 |

餌箱 |
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| 浅利牛蘭 (あさり ぎゅうらん) |
| 戦国から江戸初期 〜慶長18年(1613)没 |
| 最近までその詳細がわからなかった。本名政吉 |
| 戦国浅利氏八木橋城主、鷹匠で鷹の絵を得意と |
| し秋田県の最も古い日本画家とされている。 |
| 文禄5年比内を出奔、敦賀で橋本長兵衛と称し |
| 鷹画に専念、鷹画派を確立する。本氏浅利氏の |
| 謀殺に関与したという冤罪は晴れたが、未だ |
| 誤解されている。かえって後年浅利氏一家衆の |
| ために危険をおかして奔走、浅利再興のために |
| 尽力した。安東浅利の物成評定には浅利氏肝いり |
| 浅野長政との折衝を受けて、がんばったが、大坂 |
| で宗主浅利頼平が毒殺されるに至り、勝ち戦さが |
| 瓦解の道をたどる。織田信長、信高、蒲生氏郷に |
| 仕え子孫は後年慶長冬の陣で活躍、横手にて |
| 勲功を得て世襲物頭となる。 |
| 浅野長政義姉、高台院の高台桐の餌箱を拝領 |
| 子孫は大館市田町に在居 |
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