独鈷城跡の浅利則頼公の墓石
戦国時代に入り比内の中心となったのは独鈷(十狐)城である。群雄割拠した近隣勢力は西の安東氏、北の南部氏、津軽氏、東は南部氏領土が接近し領土境でせめぎ合う。独鈷城の奥には大葛金山がある。九戸政実の残党末裔が大葛金山の経営にあたった事が知られるが、越後見立という戦国時代からの言い伝えが残っているから浅利氏の金山経営も考えられる。
独鈷城跡は現在大日堂神社境内となっており広い敷地には当時を偲ばせる佇まいがある。また浅利則頼公は琵琶を愛し、今も境内奥に楽森があって、戦国の世に琵琶の音を奏でたものだろう。また玉林寺跡、や多くを語られる場所が残っている。

十狐城跡標柱