壇ノ浦
壇ノ浦合戦で勲功をあげた甲斐源氏浅利与一義成は伊予三島社に矢を装着するえびらを奉納している。その後奥州合戦にも参戦し、鎌倉幕府成立後の論功行賞では比内の地頭職として浅利氏が藤原配下河田氏に替わり支配することとなったとされている。
直ちに一族が比内に参着したかは不明である。同じ頃陸奥に地頭として入った南部氏は永く代官が赴任している。

浅利与一が大三島社に奉納した『えびら』の図
松平定信編『集古十種』抜粋

寛政の改革で知られる松平定信が全国の国宝級遺物を記録させたものだが、このえびらは伊予国大山祗神社に太平洋戦争までは確実にあったが、それ以降存在がわからないという。この伊予大三島の神社には全国の国宝の8割の甲冑が保存されている。弓射の名人強者の浅利与一義遠(義成)が奉納したことは確かな事実である。